読み込み中...
読み込み中...
本ページは、水戸市内原郷土史義勇軍資料館で開催される企画展「水戸南飛行場と戦後開拓」の関係者の方からご連絡をいただき作成しました。
1945〜1947年の米軍空中写真と現在の地図を概略で重ね、街区に残る飛行場の形をたどります
このページの「実験」は、戦争や開拓の史実を実験的に扱う、という意味ではありません。古い空中写真を現在の地図に重ねて見せる「表示手法」がまだ改良中の実験段階である、という意味です。
地図を読み込み中...
地図の重ね合わせだけでは分かりにくい「当時はこんな形だったかもしれない」という体験を、推定俯瞰を360度見回せるビューアで補います。年代(3択)・現況の切替に加え、上空からの視点と地面からの視点を選べます。ドラッグ・タッチ操作・矢印キーで視線の向きを変えられ、ホイールやピンチ操作で画角も変えられ、視点や年代を切り替えても向き・画角はそのまま保たれます。当時の年代を選ぶと、AIが推定した色で表示されます(実際の色ではありません)。
これは空中写真と標高データをもとに作った仮想的な視点からの映像であり、当時その場所で撮影された記録写真そのものではありません。地形の起伏は現在の標高データに基づいており、1947年当時の地形とは異なる場合があります。写真に写っていない範囲(空や死角)は「資料なし」として塗っており、建物の高さや外壁の形状は分かっていません。位置合わせの誤差や地形データの年代差についても、ビューア下の注記に常に表示しています。
全天球ビューアを読み込み中...
実写(ストリートビュー)と比べる
推定俯瞰(仮想視点)
この映像は空中写真と標高データをもとに作った仮想的な視点からの表示であり、当時その場所で撮影された記録写真そのものではありません。
この年代の色は、白黒写真をもとにAIが推定して着けたものです。色は史料ではなく推定です。
写真に写っていない範囲(空や死角)は「資料なし」として塗っています。建物の高さや外壁の形状は分かっていません。球の上半分は空にあたるため、それだけでも被覆率の半分近くは元々資料がありません。
出典
地形データ: 地形: 国土地理院 標高タイル(5m メッシュ・欠損箇所は 10m メッシュで補完)
撮影日ごとの写真の出典:
地形の起伏は現在の標高データをもとに作っており、1947年当時の地形とは異なる場合があります。この俯瞰は、現在の標高データで作った地形に、当時の写真を貼り付けて表示しています。
位置合わせの誤差: 未測定。 のフレーム の bounds 中心をプログラムで算出した既定値(目視選定ではない)。
標高データの出典: 国土地理院 標高タイル dem5a_png(欠損箇所は dem_png で補完・z=15)
地形は国土地理院の複合標高データ(タイル配信元で随時更新され単一の測量年は特定できない・取得日時は demFetchedAt を参照)による現在の地形。1946/1947年撮影の空中写真をこの現在の地形に投影しているため、撮影後の造成・切土・盛土等の地形改変(70〜80年分)は反映されていない。
調査・取引の根拠にはしないでください。
茨城県水戸市には、かつて陸軍の航空通信士を養成した「陸軍航空通信学校」と、その広大な飛行場「水戸南飛行場」がありました。戦後、飛行場の跡地は引揚者の開拓地となり、入植した人々の暮らしは今も続いています。
このページでは、1946年6月・1947年9月・1947年12月に撮影された米軍の空中写真3枚と、水戸市立中央図書館が所蔵する1945年撮影の空中写真2枚(写真A・写真B。米軍撮影。いずれもAIによる推定色表示に切り替え可能)、1961〜69年・1974〜86年・1998年・2012年の空中写真、そして現在の地図を概略で重ねて見比べられます。境界を測量線で示すのではなく、街区に残るおおまかな形を通じて、この土地の記憶をたどることが目的です。
① 写真で確認できること
② 水戸市が公式に説明していること
③ 正確には分からないこと
飛行場の広さ(引用): 東西約2.5km × 南北約1.4km
水戸市の公表値による目安で、測量による確定値ではありません。「正方形」ではなく東西に長い長方形です。
1940(昭和15)年夏、水戸吉田が原(現在の水戸市住吉町・酒門町・吉沢町・元吉田町の一帯)に、陸軍の航空通信士を養成する「陸軍航空通信学校」が開校しました。水戸市の公式資料によれば、戦争遂行にともなって暗号通信の重要性が高まるなか、航空通信士を養成する国内唯一の施設として設立されたといいます。
1945(昭和20)年5月には水戸教導航空通信師団に改編され、水戸で唯一の師団本部が置かれました。この学校が管理していた広大な飛行場が「水戸南飛行場」です。
終戦後、広大な水戸南飛行場の跡地は、国内各地の農村や旧満州からの引揚者による開拓地に充てられました。住む場所も生業も失った人々が、この地を新たな生活の場として切り拓いていったのです。
入植した人々がつくった組織が「拓友会」です。水戸市の公式資料によれば、開拓者は今でも飛行場跡地に暮らしており、拓友会は水戸市内原郷土史義勇軍資料館や市民活動団体の水戸まちづくりの会と協働しながら、当時の記憶や関連する品々の発掘・記録に取り組んでいます。
市内に残る戦争関連施設の多くは、戦後の開発によって姿を消しました。しかし水戸南飛行場は、跡地がそのまま開拓地・住宅地に転用されたことで、飛行場の範囲がほぼそのまま街区として残っています。水戸市も「上空から見ると、周囲とは全く異なる跡地の区画をくっきりと観察できる」としています。
このページの地図で1940年代の空中写真を現在の地図に概略で重ねているのも、この「形の記憶」を確かめるためです。境界線を引いて断定するのではなく、おおまかに重ねることで、街区に残る痕跡を感じてもらうことを目指しています。
水戸市立中央図書館が所蔵する空中写真2枚(写真A・写真Bとも1945年の撮影。いずれも米軍撮影)には、水戸南飛行場の北西側の区域に、周囲の田畑とは向きの異なる帯状の構造が写っています。2枚のうち写真Aには、飛行場の端(整地された区域の北西縁)も写っています。この帯状の構造は飛行場の誘導路とされるものですが、みるラボが独自に用途を確認したものではありません。撮影の月日や撮影の詳しい経緯は分かっていません(資料名は「水戸市航空写真(昭和20・21年 米軍撮影)」です)。
この2枚を地図に重ねる位置は、他の年代の空中写真と地図の上で、両方に写っている5か所の目印を突き合わせて合わせたものです。測量による位置合わせではありません。突き合わせの残差は20m前後ですが、基準にした写真自体の位置精度に左右されるため、数十m程度のずれは残りうると考えています。帯状の構造の位置や向きも、その分だけ実際とずれている可能性があります。
現地を訪れる方へ
飛行場跡地は、現在も開拓者の方々やそのご家族が暮らす私有地です。このページでは個々の住宅・番地・お名前を示す表示はしていません。現地を訪れる場合は公道から見学し、私有地には立ち入らないようお願いします。
1946年6月・1947年9月・1947年12月の空中写真3枚は、水戸南飛行場を中心とした範囲を撮影したもので、写真によっては周囲まで写っていない部分があります。1945年の写真Aと写真Bの2枚は飛行場の北西側を写したもので、写真Aには飛行場の端(整地された区域の北西縁)が写っています。地図上でその範囲の外側は灰色で示しており、現在の航空写真が透けて見えているわけではありません。
このページで重ねている1945〜1947年の空中写真5枚のうち、1946年6月・1947年9月・1947年12月の3枚は、国土地理院が所蔵する米軍撮影の空中写真をもとに、写真に写る飛行場自身のおおよその四隅(非測量・手描きの参考図をもとにした目安)を頼りに、現在の地図に合う位置・大きさへ変形・加工しています。独立した測量点による厳密な位置合わせではありません。1945年の写真Aと写真Bの2枚は、水戸市立中央図書館が所蔵する米軍撮影の写真で、飛行場の北西側を写しており(写真Aには飛行場の端が写っています)、他の年代の空中写真と地図の上で5か所の目印を突き合わせて位置を合わせています。当てはめの残差は20m前後ですが、基準にした写真自体の位置精度に左右されるため、数十m程度のずれは残りうると考えています。加工: みるラボ。
この地図の重ね合わせは概略の位置合わせです。測量ではなく、写真に写る飛行場自身のおおよその形を目印に現在の地図へ合わせているため、正確なずれの大きさは分かりません。境界を測量線で示すこともしていません。
地図の表示は最大ズーム18まで拡大できますが、実際に取得する写真・タイルの解像度はすべての年代でズーム17相当に据え置いています。私有地への配慮と、年代ごとの見え方を公平に比べられるようにするためです。
「AI加工(推定色)」に切り替えると、AIがモノクロの空中写真をもとに推定した色を表示します。これは実際の色ではありません(1945〜1947年の写真5枚のみ切り替え可能)。この5枚(1945年の写真A・写真B・1946年6月・1947年9月・1947年12月)はいずれも、推定色に加えてAIによる超解像処理(画像を2倍に拡大)を行っています。拡大後に見える細部はAIが推定して補ったものであり、実際に写っていたものではありません。特に1946年6月・1947年9月は元の写真自体の解像度が粗いため、拡大表示で見える樹木の粒感や地表の質感などの細部は、実写の細部ではなくAIによる推定生成である度合いがより大きい点にご留意ください。1945年の写真Aと写真Bの2枚も同じく超解像(2倍)と推定色を適用しています。
1961〜1969年の地理院タイル(飛行場周辺のみ)も「AI加工(推定色)」に切り替えられます。これはモノクロのタイルをAIでカラー化した推定色で、実際の色ではありません。1945年の写真A・写真B・1946年6月・1947年9月・1947年12月の写真で行っているAIによる超解像(拡大)は行っておらず、解像度は原本タイルと同じです。
この内容は、2027年1月9日(土)〜3月22日(月)に水戸市内原郷土史義勇軍資料館で開催予定の企画展「水戸南飛行場と戦後開拓」の発表内容(2026年6月2日更新の水戸市公式ページ)をもとにしています。企画展の開催にあわせて、内容の追加・修正を行う場合があります。
史実や地図の表示について誤りにお気づきの場合、下記のお問い合わせからご連絡ください。 お問い合わせフォーム