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本ページは、水戸市内原郷土史義勇軍資料館で開催される企画展「水戸南飛行場と戦後開拓」の関係者の方からご連絡をいただき作成しました。
1946〜1948年の米軍空中写真と現在の地図を概略で重ね、街区に残る飛行場の形をたどります
このページの「実験」は、戦争や開拓の史実を実験的に扱う、という意味ではありません。古い空中写真を現在の地図に重ねて見せる「表示手法」がまだ改良中の実験段階である、という意味です。
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茨城県水戸市には、かつて陸軍の航空通信士を養成した「陸軍航空通信学校」と、その広大な飛行場「水戸南飛行場」がありました。戦後、飛行場の跡地は引揚者の開拓地となり、入植した人々の暮らしは今も続いています。
このページでは、1946〜1948年に撮影された米軍の空中写真3枚(AIによる推定色表示に切り替え可能)と、1961〜69年・1974〜86年・1998年・2012年の空中写真、そして現在の地図を概略で重ねて見比べられます。境界を測量線で示すのではなく、街区に残るおおまかな形を通じて、この土地の記憶をたどることが目的です。
① 写真で確認できること
② 水戸市が公式に説明していること
③ 正確には分からないこと
飛行場の広さ(引用): 東西約2.5km × 南北約1.4km
水戸市の公表値による目安で、測量による確定値ではありません。「正方形」ではなく東西に長い長方形です。
1940(昭和15)年夏、水戸吉田が原(現在の水戸市住吉町・酒門町・吉沢町・元吉田町の一帯)に、陸軍の航空通信士を養成する「陸軍航空通信学校」が開校しました。水戸市の公式資料によれば、戦争遂行にともなって暗号通信の重要性が高まるなか、航空通信士を養成する国内唯一の施設として設立されたといいます。
1945(昭和20)年5月には水戸教導航空通信師団に改編され、水戸で唯一の師団本部が置かれました。この学校が管理していた広大な飛行場が「水戸南飛行場」です。
終戦後、広大な水戸南飛行場の跡地は、国内各地の農村や旧満州からの引揚者による開拓地に充てられました。住む場所も生業も失った人々が、この地を新たな生活の場として切り拓いていったのです。
入植した人々がつくった組織が「拓友会」です。水戸市の公式資料によれば、開拓者は今でも飛行場跡地に暮らしており、拓友会は水戸市内原郷土史義勇軍資料館や市民活動団体の水戸まちづくりの会と協働しながら、当時の記憶や関連する品々の発掘・記録に取り組んでいます。
市内に残る戦争関連施設の多くは、戦後の開発によって姿を消しました。しかし水戸南飛行場は、跡地がそのまま開拓地・住宅地に転用されたことで、飛行場の範囲がほぼそのまま街区として残っています。水戸市も「上空から見ると、周囲とは全く異なる跡地の区画をくっきりと観察できる」としています。
このページの地図で1940年代の空中写真を現在の地図に概略で重ねているのも、この「形の記憶」を確かめるためです。境界線を引いて断定するのではなく、おおまかに重ねることで、街区に残る痕跡を感じてもらうことを目指しています。
現地を訪れる方へ
飛行場跡地は、現在も開拓者の方々やそのご家族が暮らす私有地です。このページでは個々の住宅・番地・お名前を示す表示はしていません。現地を訪れる場合は公道から見学し、私有地には立ち入らないようお願いします。
古い空中写真は、水戸南飛行場を中心とした範囲を撮影したもので、写真によっては周囲まで写っていない部分があります。地図上でその範囲の外側は灰色で示しており、現在の航空写真が透けて見えているわけではありません。
1946〜1948年の空中写真3枚は、国土地理院が所蔵する米軍撮影の空中写真をもとに、写真に写る飛行場自身のおおよその四隅(非測量・手描きの参考図をもとにした目安)を頼りに、現在の地図に合う位置・大きさへ変形・加工しています。独立した測量点による厳密な位置合わせではありません。加工: みるラボ。
この地図の重ね合わせは概略の位置合わせです。測量ではなく、写真に写る飛行場自身のおおよその形を目印に現在の地図へ合わせているため、正確なずれの大きさは分かりません。境界を測量線で示すこともしていません。
地図の表示は最大ズーム18まで拡大できますが、実際に取得する写真・タイルの解像度はすべての年代でズーム17相当に据え置いています。私有地への配慮と、年代ごとの見え方を公平に比べられるようにするためです。
「AI加工(推定色)」に切り替えると、AIがモノクロの空中写真をもとに推定した色を表示します。これは実際の色ではありません(1946〜1948年の写真3枚のみ切り替え可能)。このうち1947年12月の1枚は、推定色に加えてAIによる超解像処理(画像を2倍に拡大)も行っています。拡大後に見える細部はAIが推定して補ったものであり、実際に写っていたものではありません。1946年6月・1947年9月の2枚は推定色のみで、超解像処理は行っていません。
1961〜1969年の地理院タイル(飛行場周辺のみ)も「AI加工(推定色)」に切り替えられます。これはモノクロのタイルをAIでカラー化した推定色で、実際の色ではありません。1947年12月の写真で行っているAIによる超解像(拡大)は行っておらず、解像度は原本タイルと同じです。
この内容は、2027年1月9日(土)〜3月22日(月)に水戸市内原郷土史義勇軍資料館で開催予定の企画展「水戸南飛行場と戦後開拓」の発表内容(2026年6月2日更新の水戸市公式ページ)をもとにしています。企画展の開催にあわせて、内容の追加・修正を行う場合があります。
史実や地図の表示について誤りにお気づきの場合、下記のお問い合わせからご連絡ください。 お問い合わせフォーム